新・今日も今日とて

死ぬこと以外はかすり傷

手のひらにあるものは

私は障害者雇用で働いている。

きっと自分自身が一番このことにこだわっているんだと思う。

配慮されたいとバカにされたくないという二つの気持ちが折り重なったミルクレープになっているようだ。この絶妙にわかりにくい例えはどうなんだろう。ちょうど今、頭痛がひどくて言葉の選択ミスをしている気がする。でも今書きたいから書く。少し長くなるかもしれない。

会社はみんないい人ばかりだ。私の病気のことは誰も知らないんじゃないかってぐらい普通に取り扱ってくれる。とてもフェアな対応だ。私が病気だとか障害者だとかいうことは知ってるのに、ただ私を私として取り扱ってくれる。もしかしたらただ病気のことを忘れているのかもしれない。

正直、もう少し気を使ってほしいと思うこともあるぐらいだ。でも、これはきっとわがままなんだと思う。してほしいことだけを配慮と言っている気がするから。

今だって十分恵まれているのに、私はこれ以上何を望んでいるだろう。何をほしがっているんだろう。どうしてどこか満たされない気分になるんだろう。

ふと障害者を一番差別しているのは、実は自分自身なんじゃないかと思えてくる。まだ自分の病気を受け入れられないのかもしれない。病気じゃなかったらできた仕事があった、選べた人生があったと心のどこかで思っているのかもしれない。

指の間をすり抜けていったものよりも、手のひらに残ったものを見つめたいと思う。ないものねだりは苦しくなるだけだ。わかっているのにやってしまう。

がんばろう。仕事して遊んで笑って泣いて生きていこう。

これからこれから。