新・今日も今日とて

死ぬこと以外はかすり傷

元二世信者のつぶやき

やっと金曜日です。

私は今までずっと言いたいことを言わずに我慢していたんだと思いました。そうしないとあの家では生きていけませんでした。

それは仕方のないことです。生きる術として私はそのやり方を選びました。

でも、もう私はあの家にいません。やっと、やっとやっとやっと、自分の言いたいことが言えるようになりました。自分の気持ちに気づかないふりをしなくてもよくなりました。

世界は思ったよりも明るかったようです。私はやっとひとりになれます。自分だけの気持ちを持ったひとりの人間にやっとなれるんです。

あれは精神的な虐待だったのでしょうか。信仰と思想の自由に著しい干渉を受けながら私は育ちました。言えることは私はとてもラッキーな方だったということです。どこがラッキーなんだと思われるかもしれませんが、病気にはなりましたが成人まで育ててもらえたことは大いなる幸運だったと思います。

よかれと思ってが一番恐ろしいです。善意ほど厄介なものはありません。私の幸せは私が決めます。

言葉が通じても、きっと一生わかりあえないと思う人はとても近くにいました。あの人たちはたぶん私が不幸になった方が喜ぶと思います。私を取り返せると思うからです。

本当に不幸なのは一体誰なんでしょうか。私にはよくわかりません。もう、ただそのままでいいんだと思います。

私を産み育てた人たちと同じものを信じられなかったのは、ただそれだけのことなのだと思います。あの人たちは私を哀れと思っているのでしょうが、私もあの人たちをかわいそうに思うので同じことでしょう。

夢の国もその夢を見たくない人からしたら悪夢の国でしかありません。私は早々にその国を出国しました。その国の中では国の外は地獄だと言われていました。でも出てみたら私にとっては天国でした。私は生きていくことにしました。

私の行動に結論を出すのはあと10年たってからにします。なぜ10年なのかというとあと10年たてば私が夢の国にいた時間と同じ時間が過ぎるからです。結論を出すのはその時がいいと思います。でもどんな結論を出すのはわかっているような気がします。外の空気はおいしいっていうことです。

この記事が何のことやらよくわからないという人はとても幸せだと思います。私もそんな幸せな人になりたかったです。でも、仕方ありません。私は今からもっともっと幸せになります。私の人生は、やっと始まったばかりです。