私はきっと自分よりも理不尽な目にあった人を探している。
私よりもその時の自分の力ではどうにもできない、ただ受け入れるしかなかった人を探しているんだと思う。自分よりも苦しい思いをした人がいると幼い頃の私に言い聞かせて、だから私の苦しみは大したことではないと言ってやりたかったのかもしれない。それで慰めているつもりなのだろうか。そんなことを考えていた自分が哀れでならない。
自分の信じるものは自分で選ぶ必要がある。信じるものを間違えると危ないけれど、自分で選ばないのはもっと危ない。そもそも何が間違った選択なんだろう。本人が幸せだと言うなら外野は口を出すべきではないのかもしれない。きっと選ぶのは一度きりではないから最終的に間違わなければそれでいいんだと思う。
私は自分に嘘をつきたくないと思う。自分の気持ちに対して正直でいたいと思う。たとえそれが、自分に都合の悪いことでも。
もしかしたらやっぱり私は今まで幸せではなかったのかしれない。恵まれたこともたくさんあったけれどそうでないことも多かったのかもしれない。
かもしれない、かもしれない、わからないのかもしれない。