新・今日も今日とて

35歳OLの日常(統合失調症と共に生きる)

統合失調症体験記

「あなたは統合失調症です。」と主治医に言われたのは精神科の閉鎖病棟に入院していた時でした。大学を卒業した春のことです。思えば予兆のようなものは中学生の頃からありました。当時、私は学校でいじめを受けて不登校になっていました。笑えなくなって心療内科に通っていました。その時にお風呂場のタイル壁のすきまを見つけてそこから誰かが自分を見ていると母親に言いました。母親はおかしなことを言うなと思ったそうです。次におやと思ったのは大学生の時でした。高校を卒業する頃に通っていた心療内科の薬を飲むのをやめました。当時の病院の先生には相談してやめたような気がします。その影響なのかだんだんと体調が悪くなっていきました。大学3年生の時に海外に留学していたのですが体調不良は悪化していきました。10ヶ月後何とか帰国しましたが数ヶ月後に一人暮らしの家を飛び出して失踪しました。私と連絡が取れなくなって両親は警察に行方不明者として捜索願いを出したそうです。その届けからおそらく数日後、私は夜に街でふらふらしているところを警察に保護されました。その時の記憶はうっすらとだけ残っていますがもう自分の行動を自分でコントロールできなくなっていてわけがわからなくなっていました。統合失調症の急性期症状でした。交番に連れて来られて私が泣いていると正面のガラス越しに若い警察官が立ちました。泣いている私を通りすがりの人がじろじろ見ていたのでそれからかばってくれているようでした。私はその男の人の背中をきっと忘れないでしょう。そのまま病院に直行して入院しました。精神科の閉鎖病棟に3ヶ月半ぐらい入院していました。保護室から観察室、一般病室に移動していって病名を告知されました。病名を聞いた瞬間は聞いたことはあるけれど一体どんな病気なのかよく知らないなと思いました。入院中は退院したらすべて上手くいくように思っていましたが実際は退院してからがスタートでした。最低限の物しかない病室と違って家には色々な物があります。それを見るだけで疲れてしまうのがわかりました。これは時間が過ぎるにつれてだんだんと慣れていきました。最初の3ヶ月ぐらいは家で療養しました。それからスポーツジムに通い、職業訓練を受けました。やはり病気の影響なのか頭を使うとすごく疲れてしまって慣れるのが大変でした。その後アルバイトを見つけて働き始めました。アルバイトをしていく中で正社員として働きたいという気持ちが強くなりアルバイトを始めて1年ぐらいして就職活動のため辞めました。長く働き続けるには障害者雇用がいいと思ってこの頃に障害者手帳を取得しました。ハローワークを利用してたくさんの求人に応募しましたが書類選考でどんどん落とされていきました。面接すらしてもらえないことに衝撃を受けながら応募していく中で今の会社の求人見つけて応募して面接を受け採用されました。それから初めての事務職の仕事が始まりました。最初は大変でした。まず漢字が書けません。前職のアルバイトでは字を書く機会が少なかったのでこれには驚きました。それ以外も少し考えたりすると頭が燃えるような熱い感じがしてしんどかったです。あと会社を休まないように体調を安定させることも難しかったです。早退は時々ありました。とん服薬を飲みながら何とか乗り切りました。そして今、入社8年目になりました。仕事は楽しく元気に働けることに感謝しています。もうとん服薬を飲むことはなくて減薬を続けた結果、病気の薬は1錠しか飲んでいません。健常者だった時よりも元気に過ごしています。これを読んでいる人の中には今、統合失調症と診断されて真っ暗な闇の中に放り出されたと感じている人もいるかもしれません。でも歩き続けていれば必ず光は見えてきます。あなたも私も人生はこれからです。私はもっともっと楽しい毎日にしていこうと思っています。私は自由です。最後までお読み頂きありがとうございました。